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雨の金沢城公園を歩く

2018. 3.21

雨降る中、金沢城公園へ.....

Img_9688 かつては裏門だった石川門、現在は金沢城公園の表門として堂々とした佇まいを見せています。
金沢城、実は、1,602年、落雷によって天守閣が焼失したのを始め、度重なる火災によってオリジナル部分は現存していないようで。
この石川門の再建は、比較的古くて1,788年のこと。
正面に見えるのは、高麗門の一の門、ここを抜けると四方を門と石垣で囲まれた枡形門であることがわかります。
道の両側には桜の木が並んでいて、開花の季節にはさぞかし華やかなことでしょう。


Img_9689 銀色に輝く鉛瓦、なまこ壁、塗籠壁が特徴的な石川櫓
鉛が使われたのは、冬の積雪に耐えられるように軽量であったこと、また、有事の際には鉄砲弾にもなるからだという理由だそうで。


_1120515重厚な一の門の扉


_1120516二の門の櫓門


Img_9692 三の丸広場
藩主・前田利家入城後、重臣の居邸が建てられていましたが、その後、居邸は城外に移され、高知番所、 物頭番所が設置されました。
三の丸の向こうには、菱櫓(右)と橋爪門続櫓を繋ぐ五十間長屋。多聞櫓であるここには、武器や什器等が保管されていました。


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金沢城の復元整備の第Ⅰ期工事によってここが復元されたのは、2,001年のこと。
カラフルな石垣に目が惹かれました。


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内堀に沿って橋爪門へ


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二の丸の正門である橋爪門
高麗門形式の一の門と続櫓


Img_9698 櫓門の二の門


Img_9711鶴の丸広場から橋爪門続櫓


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玉泉院丸庭園
二代目藩主・利長の正室玉泉院(織田信長の四女・永姫)が屋敷を構えていたことが、その名の由来なのだそう。1,634年、三代目藩主・利常によって始まった作庭は、その後も歴代藩主によって手を加えられながら廃藩時まで存在していたそうです。
現存の庭園は、江戸時代末期の姿が再現されたもの。池泉回遊式庭園で、池には一の島、二の島、三の島という3つの浮島があり、木橋、石橋、土橋を合わせ、5つの橋で結ばれています。

Img_9701

金沢の風物詩である雪吊りも見られましたよん。
一般に公開されたのは、北陸新幹線の開通に合わせた3年ほど前のこと。


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最も印象に残ったのは、石垣の中に滝を組み込んだ、この色紙短冊積石垣
方形の石が色紙、長方形の石が短冊ということらしいのですが、こんな石垣は見たことないです。なかなか優雅ですな。


Img_9702 玉泉院丸庭園へ下って行く途中には、巨樹がありましたが


Img_9705

鶴の丸広場にも立派なタブノキがありました。


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鶴の丸の土塀の構造を紹介するこんなデモンストレーションもなかなか興味深かったです。


Img_9707


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切り石積みのデモも。
駆け足での観光ですべてを見学することはできませんでしたが、さすが加賀百万石広大な敷地に建つ、立派なお城だったに違いありません。焼失してしまったのがとっても残念.....
明治時代から終戦までは帝国陸軍の所有となったり、戦後は金沢大学のキャンパスが置かれたりして、長期間にわたって閉鎖的に使われていました。石川県が国から所有権を得て、観光資源として整備されることになったのが、1,996年。比較的最近のことだったんですね。っても、20数年は経っちゃってますけど.....

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