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富岡城にて

2013.12.22

Imgp3345天草下島の西海岸を更に北上。次に立ち寄ったのは.....慶長7年(1,602年)、肥前唐津藩の寺沢廣高公によって築城されたという‘富岡城’。


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寛永14年(1,637年)の‘天草島原の乱’では、幕府側の拠点として一揆軍から攻撃を受けながら、必死の守りで落城を免れたものの、その後、寛文10年(1,670年)には破城されたお城です。
きれいに整備された城壁ですが、実は三重の構造になっていて、最奥の石垣は寺沢氏が築いたオリジナルのもので一揆軍との攻防戦の痕跡が残されているそうです。2番目の石垣は古い石垣を隠すために急造されたものらしく、途中で崩壊。一番表側の石垣は‘天草・島原の乱’後の領主である山崎氏がお城を修復した際に築いたもの。下の黒っぽい部分は破城の際残っていた石垣のようです。


Img_3081 平成17年4月には、本丸跡に‘熊本県富岡ビジターセンター’が完成、更に櫓(やぐら)や高麗門等も整備されました。
櫓からの眺めです。‘富岡城’は砂州で繋がった陸繋島の富岡半島の南東部の丘陵上にある梯郭式の平山城。城の東には砂嘴に囲まれた巴湾が天然の土塁となって、海からの外敵を防衛する役割を果たしており


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また、南には堀の役割を果たした袋池(右)があり、陸からの攻撃は、この砂州のみという、極めて攻撃し難い天然の要害を形成していたようです。


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高麗門に飾られた注連縄の中央には、海老.....


Img_3093 城から少し東に下った場所で海を眺める4人衆。


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‘日本の恩人’と記された前方の台座には勝海舟と頼山陽、‘天草の恩人’には、寛永18年(1,641年)、天領となった天草に初代代官として赴任してきた鈴木重成と、その兄・正三の立像。


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橘湾の向こうには島原半島の雲仙普賢岳が薄らと.....。

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