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名護屋城跡散策 @ 唐津

2013. 3.23

前回の桜レポと重なる部分もあるかも知れませんが、名護屋城跡散策の記録です。名護屋城は、国内統一を果たした豊臣秀吉が、更に朝鮮半島、中国大陸に向けて出兵するために、その軍事拠点として築いた城です。加藤清正等が設計を担当、築城は1,591年に始まり、諸大名による割普請によって、わずか数ヵ月で完成したといわれています。

Img_9427 城は本丸、二の丸、三の丸、弾正丸、山里丸の五主郭に、腰曲輪等大小11の附属曲輪から成る平山城。標高88.8m、城の総面積17万㎡、建物の面積約4,333㎡。


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観光案内所のある広場からお城に入るこの辺りが大手口。城内でも、最も桜が美しかったところです。


P1010244 大手口から緩やかな坂を登ると番所・詰所を置いたといわれる東出丸が右側に。誰がどこに布陣していたかを示す案内がありました。徳川家康、伊達正宗、黒田長政、真田昌幸・信之、前田利家、石田三成等々、名立たる武将の名が.....。


Img_9442 本丸よりも一段低いところに位置する東西68m、南北124mの三の丸。大手口から本丸に通じる重要な曲輪で、本丸周辺を警固する侍が詰めていた場所と考えられています。


Img_9440 城内の高台では唯一の井戸跡が三の丸にありました。


P1010255

東西145m、南北125mの本丸には‘名護屋城跡’の立派過ぎる石碑。


Img_9447 五層七重の天守閣は、本丸の西北の隅に置かれていました。その高さは石垣から25~30mだったと推定されているそうです。ここからの展望はすばらしく、壱岐、対馬も望見できるとのことですが、よくわかりませんでした。


Img_9449 ここにも布陣案内。直江兼次、上杉景勝、島津義弘等々.....。名護屋城を中心として半径3kmの範囲に、約130ヶ所の大名陣跡が確認されているのだとか。


P1010268 本丸南西より天守閣方向。隅に植えられたあの大木は何の木なんでしょうね.....?


P1010273 発掘調査によって、本丸の南側と西側で現在の石垣の内側に古い石垣が埋められているのがわかりました。名護屋城は元は松浦党波多三河守親の家臣、名護屋越前守経述居城であったところですが、その当時のままではなく、大規模に改造されたことが証明されたようです。


Img_9446 天守閣西側直下にある遊撃丸。1,593年に講和使節として来日した沈維敬(遊撃将軍)の宿舎となったことから、この名称が付けられたのだとか。


P1010262_2 ‘遊撃丸’に隣接し、本丸の西側にあった二の丸は、桜に囲まれた区域。武器、兵糧等の建物や番所があったとされています。


P1010277 本丸南側にある馬場。本丸との比高差は12m。長さ100m、幅15m。ここで乗馬の訓練をしたとも伝えられ、二の丸から三の丸に至る重要な通路であったと考えられています。


P1010271 なぜか馬場の通路途中に設けられた櫓台。本丸より。


Img_9459 名護屋城の総取締を行っていた浅野弾正長政が居城していた弾正丸から馬場、大手口方向。
1,598年、豊臣秀吉の死とともに、全軍撤収することとなり、名護屋城もその役割を終えることとなりました。たった7年で解体されるには、あまりにも立派過ぎるお城でした。
ちなみに、その遺材を使用してつくられたのが唐津城なのだそうです。

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