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長崎街歩き その1 亀山社中跡と興福寺

2013. 2.16

前後してしまいましたが、2月の長崎旅行の続きです。‘軍艦島クルーズ’を終えて、まず目指したのが‘亀山社中’。薩摩藩等の援助を受けて坂本龍馬が中心となって設立した貿易商社です。日本初の商社とされる‘亀山社中’は、最初に拠点を構えた地‘亀山’と、仲間・結社を意味する‘社中’をあわせて命名されたもの。
Img_8791 そこに行くには、お寺が並ぶ通りからこの小さな坂道‘龍馬通り’を上って行きます。距離にしてたった210mですが、途中には傾斜のきつい坂もあり、ちょっとした運動になります。


Img_8793 当時の建物はありませんが、その跡に幕末時により近い形で復元した‘亀山社中記念館’があり、龍馬や亀山社中に関係のある人物に関する資料が展示されていました。


Dsc02605 寺町の通りに戻り、興福寺に寄ってみました。興福寺は、日本最初の黄檗禅宗の唐寺。山門が朱塗りなので‘あか寺’とも、また浙江省、江蘇省出身の信徒が多いので‘南京寺’とも呼ばれているようです。
中国・明の商人が長崎と行き来を始めた頃、渡来した中国人が航海安全を祈願して、この場所に小さな庵を造ったことがこのお寺の始まり。1,620年頃のことだそうです。
この時代は、幕府のキリスト教弾圧が厳しく、長崎在住の中国人にもキリシタンの疑いがかけられため、仏教徒であることを証明するためにも、次々と唐寺が建てられたといわれています。


Dsc02610 長崎が最も華やかだった唐船時代.....海原を越えて長崎に入港した江蘇・浙江船のアチャサン達は、興福寺に掲げられた寺の幡と五色の吹き流しを目にして、無事到着を媽祖(航海の守護神)に感謝しました。そして、媽祖を船から下ろすと、吹き流しを目印に、行列を組んで興福寺に向かい、媽祖を安置したそうです。


Img_8799 掲揚台のすぐ横には庭に続く赤門。放し飼いの豚が門内に入らないように、敷居が高くつくられて(=‘豚返しの敷居’)います。


Img_8800 広くはありませんが、静かで落ち着いたよい雰囲気のお庭です。


Dsc02620 本堂にあたる‘大雄宝殿’は国の重要文化財の指定を受けています。1,632年に建立されたものの大火により類焼、1,689年の再建後は暴風のため大破、現存のものは1,883年に再建されたもの。ほとんどが中国工匠による純粋の中国建築で、資材も中国より運送してきたのだとか。


Img_8802 扁額の‘大雄宝殿’は、黄檗宗の開祖 隠元隆琦の筆によるもの。1,654年、中国福州から長崎にやって来て、興福寺住職として1年ほど滞在されたそうです。いんげん豆で有名な方ですが、他にももやし、西瓜、蓮根、落花生、茄子、金針菜、孟宗竹などの食材も紹介されたようです。


Img_8805 珍しいとされる氷裂式組子の丸窓。釘を使わずに木を組み付け、氷を砕いたような模様を造り出しています。


Dsc02616 私にとって目新しかったのは、‘はんぼう’。お坊さんたちに飯時を告げるために叩いた木彫りの魚です。長年叩かれ続けたので、腹部は凹んでいますが、中は空洞になっていて、音は案外遠くまで聞こえたそうです。


Dsc02614 中国の代表的な魚である鰍魚(けつぎょ)を象り、口にふくむ玉は欲望、これを叩いて吐き出させるという意味をもち、木魚の原型とみなされているようです。このような魚板は禅寺にはよくあるそうですが、雌雄一対で掛けられているのは大変珍しいそうです。

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