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吉野ヶ里歴史公園 南のムラ

2013. 2. 3

P2030118 佐賀の吉野ヶ里歴史公園へ。
公園の中心部分を成す吉野ヶ里遺跡は、弥生時代における日本最大規模の環濠遺跡で、その広さは約40ha。この吉野ヶ里遺跡とその周辺部117haが公園として整備されることが決定されていて、現在も整備が進行中の歴史公園です。


Img_8339 晴れてはいるものの、不思議な雲が太陽と青空を部分的に覆っています。


Img_8341 東口から入園すると、田手川に架かる橋を渡って行くことになります。空の色を映し込んだ小川は、青い帯のよう。脊振山系が見えている奥側が北の方角です。


P2030123 園内には、発掘調査結果を元に、集落が最盛期を迎える弥生時代の終わり頃(紀元3世紀前半)の竪穴住居、物見やぐら、高床倉庫等98棟の建物が復元されています。
いざ、弥生時代へ~


Img_8343 逆茂木(さかもぎ)。米作りが盛んになるにつれて、水や土地を奪い合う争いが起こるように.....。集落を守るために、尖った木の幹や枝でバリケードを築いていたようです。


P2030127 入り口近くにある‘弥生くらし館’では、勾玉づくり、土笛づくり、鏡製作、布つくり、舞いの稽古、楽器製作と演奏等さまざまな体験プログラムが用意されています。写真は、火起こしチャレンジ中。なかなか苦労されていらっしゃるようですが.....


Img_8347 広い野原の向こうにムラが見えて来ました。
‘南のムラ’と呼ばれるこの辺りには、一般の人々が暮らしていたようです。この区域を囲むような濠等の特別な設備がないこと、竪穴住居3~4棟に対して共同の高床倉庫が1棟という日本全国で見つかっている一般的集落のあり方とよく似ていること、北が上位で南が下位という古代中国の考え方に影響を受けてつくられているとみられる吉野ヶ里集落全体の中で一番南に位置していることなどがその根拠となっているのだとか。


Img_8355 ‘南のムラ’の中にある‘中の一家’の居住区。この一家は、農作業をしながら鉄器の製作や修理、船から物資の荷揚げ等をして暮らしていたようです。


P2030138 半地下形式になっている竪穴住居は、夏は涼しく、冬は暖かくて過ごし易いのだそうです。また周囲には溝が掘ってあり、雨が降っても、家の中には水が入りにくい仕組みになっています。


P2030137 竪穴住居の入り口は小さく、かなりの低姿勢で通り抜けなければなりません。敵に簡単に侵入を許さない、冬は屋内の暖気を逃さないといった意味があったのでしょうか.....。


P2030136 家の中へは、小さな入り口から階段を数段下りて.....。


P2030132 床の中央には炉があり、屋根には炉から発生する煙を外に出すための穴があります。煙でいぶされた屋根は丈夫で長持ちするのだとか。


Img_8353 一家で1棟所有していたという高床倉庫。


Img_8352 入り口はこちら。梯子を使って出入りしていたのでしょうね。
倉庫の床の向こう、左側に見えているのは‘南の祭壇’。人工的につくられた丘で、祭りに使う土器がたくさん発見されているのだとか。中には、神に捧げたと思われる動物や鳥の骨などがたくさん入っていたものもあったそうです。


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