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永国寺 @ 人吉 熊本

2013. 2.11

栗野岳温泉で今回の旅は終りにするつもりでしたが.....‘人吉.....近いよねぇ。’のひと言で、更に寄り道。熊本県最南部に位置する盆地の町、人吉は、温泉と球磨川下りで有名なところです。
Dsc02354 さて、そんな人吉でまず立ち寄ったのは、‘永国寺’。1,410年1,408年説もあるようですが.....、相良氏の第九代当主 相良前続(さきつぐ)が、人吉市内の別の場所にあった東照山清明院を現在の場所に移し、実底超真を招いて開基しました。今から600年以上も前のこと、歴史あるお寺です。


Dsc02367 実底和尚によって描かれたとされる幽霊の掛け軸で有名で、‘幽霊寺’とも呼ばれています。寺伝によると.....。
お寺が建てられた当初、近くに住む知名の士がおり、妾を囲っていたのですが、本妻の嫉妬による仕打ちで、球磨川に身を投げて非業の死を遂げました。しかし、その恨みは深く、彼女は幽霊となって本妻を苦しめ続けます。そこで実底和尚が幽霊の姿を絵を描いたところ、成仏できずにいた幽霊は自分の姿に驚き、和尚の導きによってようやく成仏し、それからは現れなくなったということです。


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永国寺境内には複数の層塔がありますが、この五重の石塔は‘嘉禄3年(1,227年)四月二十四日大檀那藤原?重’の銘文があり、球磨地方最古の在銘重層石塔なのだそうです。現在は四重となり、相輪と屋根も他のもので補充されてあります。銘文の‘?’は不明文字ですが、相良家初代長頼の弟・宗頼の子の頼重と推定されているようです。


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また、こちらは‘千人塚石塔’(耳塚)。
朝鮮出兵の際、秀吉は手柄の証拠として、諸大名に、討ち取った敵兵の耳鼻を削ぎ落し、塩漬けにし、目録を提出するように命令、相良二十代頼房も耳鼻1,800を秀吉に進上したました。この石塔は、その霊を鎮めるためのものだと伝わっているようです。何とも残忍な話で.....


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こちらは‘西郷本営跡碑’。明治10年、田原坂で敗れた西郷隆盛は、八代より当地に逃れ、当時繊月城(人吉城)は既に取り壊されていたため、この永国寺に本営を設けたそうです。4月27日に人吉に入ってから33日間、官軍を防ぎましたが、ついに5月29日、隆盛は加久藤峠を越え、小林へと逃れたようです。その際、お寺は尽く灰燼に帰し、寺宝等もあらかた燃えてしまいましたが、その中で焼け残ったものの一つが、前述の幽霊の掛け軸だったそうです。

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お寺の裏には庭園。


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幽霊が夜な夜な現れたという池はこちら。ツツジ、睡蓮等四季折々の花が咲くというお庭も、今の時季は咲く花もなく.....。

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夕暮れ間近の境内はひっそりと.....。

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