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志賀島(しかのしま)へ

2012.11.25

お天気に恵まれた三連休最終日、博多湾北部に浮かぶ志賀島へドライブ。
Img_7692 志賀島は、砂州によって本土と陸続きになった陸繋島。全長8kmの砂州の上につくられた道路は‘海の中道’と呼ばれています。前方が志賀島。


Img_7668 島で最も高い‘潮見公園’へ。展望台から見る‘海の中道’。細い砂道で繋がった向こうの緑地もまた砂州の一部で、海浜公園やマリンワールド等のレクレーション地域になっています。


Dsc02107海の向こうには博多の街。水深が平均で10m、最大では23mもの深さのある博多湾では、大型船の航行も可能です。


Img_7662

博多湾のほぼ中央に位置する能古島(のこのしま)へは、福岡市西区の姪の浜渡船場から10分ほど。片道220円(大人)。気軽な船旅が楽しめそうです。


Dsc02103 糸島半島方向。雷山山塊に連なる100 ~ 300m級の山々のシルエット。


Dsc02100

光の加減で一段と青く見えるこちらは玄界灘。今日は、穏やかな海が広がっていました。


Img_7671 衝撃的だったのは、‘潮見公園’の駐車場に立てられていたこの看板.....


Img_7673後漢の光武帝が奴国(なのくに)=現在の福岡を中心とする地の使者に授けたと言われる金印が発見された場所には‘金印公園’がありました。


Dsc02126 実際の金印は一辺の長さ2.3cm、高さ2.2cm、重さが108.7gの小さなもので、ほぼ純金でできているそうです。国宝指定を受けた実物は、福岡市博物館に展示中。


Img_7676 ‘漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)’と刻まれているようです。1784年に、この付近で出土したと推定されています。‘後漢書’にも光武帝が弥生時代に福岡の小国であったとされる奴国の王にこの金印を与えたという記述が残っているのだとか。


Dsc02139古代地図を広げた広場にチェスのような金印がぽつん.....海を眺めているその姿は、何だか寂しそう.....。


Img_7683 ‘金印公園’の先には、文永・弘安の役で戦死した蒙古兵士の供養のためにつくられた‘蒙古塚’もありました。

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