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平泉へ

2009. 2.15

横手からの帰り、岩手県の平泉に寄ってみました。まずは、天台宗東北大本山、中尊寺へ。12世紀の始め、奥州藤原氏初代清衡が、前九年・後三年の戦没者の慰霊と仏国土建設を目的に、多数の堂塔を造営しました。1337年の大火災により、そのほとんどを焼失してしまいましたが、なお金色堂を始め、3000余点の国宝や重要文化財を伝える東日本随一の平安美術の宝庫となっています。

P2159370 月見坂と呼ばれる参道。江戸時代、平泉は伊達藩領となり、歴代の伊達藩主は中尊寺を手厚く保護。山内に点在するお堂の多くが、この時代に再建されたようです。参道沿いに立ち並ぶ老杉も、伊達藩によって植樹されました。

Img_3235 1909年に再建された本堂、手水所に氷が張っていました。本日の岩手県の天気予報は、曇り→雪でしたが、落ちてきたのは雨.....。

Img_3242 中尊寺創建当時唯一の遺構、金色堂です。覆堂で保護されており、中は撮影禁止でしたので紹介できませんが、すばらしかったです。仏壇、四本の巻柱、長押には螺鈿細工や蒔絵が施されており、その材料である夜光貝、紫檀、アフリカ象の象牙などは、当時の交易の広さを物語っています。ここには、藤原氏三代のご遺体と泰衡の首級が納められています。

P2159430 こちらは、旧覆堂です。松尾芭蕉がここを訪れたときには、金色堂はこの中にあったそうです。

Img_3244 釈迦堂の手前で、ちょっとおもしろい燈籠を見つけました。灯を入れる部分の囲いのみが木でできています。

P2159434 白山神社に抜ける途中、ちょっとすてきな?木の根道を発見しました。

 


Img_3248 白山神社境内にある能舞台は、能楽を愛好した伊達藩によって建立されたもの。なかなか立派な能舞台でした。

Img_3260 昼食後、向かったのは、源義経終焉の地、高館義経堂(たかだちぎけいどう)。1189年、源頼朝の圧迫に耐えかねた、藤原泰衡の急襲にあい、31歳の若さで妻子とともにこの地で自害したと伝えられています。眼下には、北上川がゆったりと流れており、ここがかつて戦場であったということが信じられません。芭蕉も、この地に立ち、下に広がる夏草が風に揺れ光るさまを眺め、かの名句、「夏草や 兵共が 夢の跡」の句を詠んだと言われています。

Img_3259 義経堂に続く石段。義経堂は、1683年、第四代仙台藩主伊達綱村が建てたもの。堂内には、義経の木像が安置されていました。

P2159489 本日最後の観光スポット、毛越寺(もうつうじ)へ。中尊寺同様、慈覚大師円による開山で、藤原氏二代基衡から三代秀衡の時代に多くの伽藍が造営されましたが、藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭い、すべての建物が焼失してしまいました。平成元年に建立された平安様式の新本堂を除いては、唯一現存する常行堂が仏さまの右側に見えています。これは1732年仙台藩主伊達吉村が再建したもの。

P2159494典型的な浄土庭園となっており、かつては、この大泉が池に龍頭鷁首の船を浮かべて、管絃の楽を奏したと言われています。

Img_3266 山水を池に取り入れるための水路=遣水(やりみず)です。底に玉石を敷きつめ、蛇行する流れに水切り、水越し、水分け等の石組みを配しており、平安時代の完全な遺構としては、日本唯一のものだそうです。5月の第4日曜日には、ここで曲水の宴が開かれ、遣水に盃を浮かべ、流れに合わせて和歌を詠む、平安時代の貴族の優雅な遊びが再現されているようです。

P2159464 昭和29年から5年間にわたって行われた発掘調査の結果を基に描かれたのが、この復原図。全盛期には、堂塔四十余、禅房五百余あったと言われている毛越寺ですが、現在の静けさからは想像もできないような賑わいを見せていたのでしょう。

15時をまわり、急激に冷え込んできました。雪になりそうな冷たさです。降り始める前に、とっとと退散することとします。

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